一つのプロジェクトを進めるうえで考えなければいけないことは、たくさんあります。どの程度の予算で、どれぐらいの期間で、どういったターゲット層に対して、いくらで売って、どうやって利益をだしていくのか? 様々な現実的な制約の中で、良い結果を出さなければいけません。そしてその多くの制約の中で、新しいものを次々と生み出さなければ、生きていけない世の中に私達は暮らしてます。そんな企業様の動向は私達の生活を大きく左右しています。そしてそれを“世の中のたて糸”と僕は捉えています。

それでは、そんな世の中で、“わくわく”はどうやったら作れるのでしょうか? 例えば「スイカを冷やしているよ」と一言、言うよりも「スイカを川で冷やしているよ」と言いなおすだけで、わくわく感が広がります。「じゃあ、その後に川遊びもして、バーベキューも楽しめるな」と、イメージがどんどん膨らみます。 たった一つの「川」というキーセンテンスを軸に設定するだけで、ダイナミックにプロジェクトが動き出します。例えばスイカを食べようというイベントを売り込まなければいけないとして、おそらく「会費をいくらに設定して、どれぐらいの期間で広告をまいて、予算にいくらかかって、スイカはどの品種で、どれぐらいの仕入れ値で、人員をどこに配して」と、考えながらバタバタと、プロジェクトは動くはずです。そしてチラシのデザインを見ながら、はたと気づくわけです。 「はたして、これを渡して、友人は喜んでくれるだろうか?」と。「何かが、根本的な何かが足りない」と。そしてその足りない何かが“クリエイティブのよこ糸”だと僕は考えます。

なにもコロンブスの卵的な発想だとか、天才的なアイデアだとかが、必要だと言っているわけではありません。重要なものは「当たり前の普通」に気づける感覚だと思っています。例えば女性は柔軟剤の香りひとつで、柔軟剤を変えます(もちろん男性でもですが…)。これは男の僕には、全然気にもしていなかった感覚でした。しかし、そんな些細なことがらで世の中の消費が大きく動いているのです。

例えば誰かと会話している時に、相手が腕を組んでいるとします。はっきり意識はしていないまでも「どこか警戒されている」という印象を感じ取るはずです。私達は普段意識はしていなくても、微妙なニュアンスを無意識に感じ取って、行動を選択しています。例えばチラシのデザインをするとして、「ここを一番強調したいから、ここの文字を大きくして、ここの端をそろえて綺麗に読みやすくして」と指示がでるはずです。けれど、文字の選び方、スペースのとり方、配色等によってはチラシの印象は、大きくかわります。まず直感的に印象を感じ取って、読むか、読まないかを読み手は無意識に選択するはずです。そもそも読むことを前提につくっていますが、それでは今日一日をふりかえって、どれほどの広告物を人は覚えているでしょうか? つまりデザインを扱うということは、ビジュアルコミュニケーションを扱うということ、「情報物」以前に「印象物」を扱うということなのだと考えます。大切なことは「スイカを川で冷やすってワクワク感があるな」と気づけるかどうかであって、そういった当たり前の普通の感覚をプロジェクトに織り込む作業が、世の中のたて糸の中では、なかなか起こせない。そこが重要なのだと思っています。

「なんか石ころって言葉の響きがかわいいよね」とか「なんかパン屋さんって幸せ感あるな」とか、そういったことに気づけるなら、それは一つの才能だと考えます。なぜそう思うのか? 分析はその後でいいはずです。そしてそれを分析できたのなら、それをいかして多くの人の心を動かせるはずです。素敵なことを素敵だと気づけて、そのことを共有しあえるならば、そこに“わくわく”のタペストリーを織り込んでいけるのではないでしょうか?   …どうなんでしょうか?